昭和38年1月20日・・祖母が亡くなりました・・今日命日です。38豪雪の年でした。当日天気は良かったものの大雪でした。お隣にお茶のみに行っていた祖母が脳こうそくで倒れ危篤状態・・当時吉田の役場で 大雪の下 下宿していた父が知らせを受け大雪の中歩いて帰ってきました。当時除雪車もなく 歩いて・・何時間かかったでしょうか。なかなか帰らない父を 途中まで 迎えに行ったことを思い出します。葬式までも猛烈な雪が積もり いろいろ 語り草になった物語があったことを思い出します。・・・おばば・・あれから54年経つよ・・・ゆっくり休んでください・・合掌。
本日 午前中 木次町方面で少し勉強会。いろいろご指導をいただきました。なかなかいろいろ思うようにいかないようです。また勉強に行きます。
午前中は我が家の周りも 木次町も雨でした・・。午後 徐々に雪に変わり 一時暗み込んで降ってきました。あっという間に真っ白な世界になりました。今後 38豪雪のように連続して降らなければいいですね。
明日は土曜日です。日曜日には吉田中学校で 授業公開と講演会があります。講師先生は 松江高専の教授・・吉田中学校卒業の 福間先生です。皆さんもぜひお越しください。午後2時から講演です。1時過ぎから授業公開です。予定しておいてください。
38豪雪は大変でしたね。当時、私は、頓原を出て大阪で生活しておりましたので、後から家族から聞いたはなしですが・・・。交通途絶、新聞は数日まとめて配達、学校は休校して自宅学習、自衛隊機が次々と飛来し食料を投下、住民はそりで食料を受け取りに行ったといいます。帰宅しょうとして力つきたのしょうか、家から100mのところで凍死体で発見されたという悲しい話もありました。
島根県PR大使・遣島使 HP http://simane.do47.net/kadoya.html
小学校6年生でした。小学校の校庭にヘリコプターが来ていました。もちろん学校も休校。馬の背と呼んだ一本道を歩きました。大屋根の雪かきをしました。あれ以来おおやねに上がることはありません。頓原ツカガの方では放置された車の上を除雪したと言う話もありました。昔の話です。だんだん。